社長日記 アイヌの食文化勉強記編
2020年04月12日~ アイヌ料理をそのまま再現したい ~
2020年07月27日
ルーツ
一昨日、函館市北方民族資料館に行ってきました。
コロナの影響で行けなかったのですが、もう開館してるとのことなので、勉強しに行ってきました。
幸いなことに、その日はガイドさんが居られて、アイヌのことをいろいろ学ばさせてもらいました。質問にも丁寧に答えてくれたので、たくさんの疑問が解消されました。
写真左はコロポックル。奥はアイヌ風俗12ヶ月屏風
やっぱり一番気になるのは、アイヌ民族とは何者か?でした。縄文人なのか、倭人なのか、それとも?
以前、ここから南へ、車で30分ほど走ったところにある大船遺跡(縄文遺跡)に行った時、ガイドさんに、アイヌ人は縄文人なのですか?と聞いたところ、違うとのことでした。どうして違うと言えるのか聞いてみたのですが、その方も詳しくは知らないそうで、ただ違うということだけ知っていたそうです。
北方民族資料館のガイドさんにも同じ質問をしましたが、やはり明確なことはわからないそうです。
実は誰にもアイヌ人のルーツはわからないそうです。
ただ、縄文人は、竪穴式住居に住んでいましたが、アイヌ人はフラットな床に住んでたものですから、アイヌ人=縄文人ではない可能性が高いですね。
日本には縄文時代からの在来人種である古モンゴロイド(縄文人)が居ました。そして縄文時代終期にやってきたのが、新モンゴロイドと言われています。その新モンゴロイドと古モンゴロイドと混血して倭人が誕生したそうです。
新モンゴロイドは、寒さに強かったそうです。顔にも寒さに適応する特徴があるそうです。
ガイドさんがおっしゃるには、おそらく新モンゴロイドと倭人が混血してアイヌが生まれたのではないかと。
新モンゴロイド+古モンゴロイド=倭人 新モンゴロイド+倭人=アイヌ人
う~ん・・複雑ですね・・。笑
でも、結局確かなことは誰にもわからないんですよ。それに、さまざまな血が混じる中で、どこからを「アイヌ人」と定義するのは難しいことだと思います。
血でもって線引きするのか、文化でもって線引きするのか、習慣や宗教でもって?それともDNAで?
そうそう、DNA調査ではアイヌ人は縄文人の遺伝子が色濃く残ってるそうですから、古モンゴロイドと倭人の混血ということも考えられますね。
先だって何かのテレビ番組で、今は純粋なアイヌ人は存在していないと説明していました。でも、純粋なアイヌ人とは、何でもってそう言えるのか、ちょっと考え込んでいました。
ただ、ガイドさんといろいろ話すうちに、前より近いところまで理解できたような気がします。
アイヌ人とは何者かが少しわかったので、この話しはここまでにして、次回からはアイヌ人が使っていた道具や衣服について触れていきたいと思います。
今回行ってきた資料館の住所は、函館市末広町21番7号です。電話番号は、0138-22-4128です。
函館に来られたら是非行ってみてください。北海道で最もアイヌ文化財がたくさんある資料館らしいですよ。
意外とアイヌの物って日本には残ってないそうです。多くは国外へ運び出され、中でも大英博物館にその多くがあるそうです。
魂のふるさとへ戻してほしいと切に願います。
そうそう、もう一つ。なぜアイヌ民族についての知識や資料が少ないのかという素朴な疑問については、アイヌ人は文字を持たなかったためと考えられます。
ですから、歴史なども謎のベールに包まれているのですよ。
文字を持たない分、記憶力が非常に良いそうです。
そういや漁師のおじいさんが言ってました。「アイヌ人はささいな事をずっと覚えてるんだ。何十年も経って、こっちがすっかり忘れてても、あの件どうなったんだ?って聞かれるんだ。」と。
2020年05月16日
漁具、マキリ
アイヌの漁具にマキリと呼ばれる包丁があります。「間切り」とも「魔切り」とも書きますが、正式には定かではありません。
アイヌには、特定の文字で表記する方法がないので、現代に作られた漢字だと思いますから、そのいずれでも無いのでしょうね。
また、マキリは狩猟刃としても使われていたそうです。
マキリは、現代の漁師にも「マキリ」の名称で使われています。この包丁一本で、鮭をさばいたり、船にからまったロープを切ったりと、万能の道具として重宝されてます。
博物館に展示してあるアイヌのマキリ
私は30数年前から料理人でしたから、魚に合わせた包丁を数十本使い分けてきました。
使っている包丁の一部ですが、魚に合わせて適切な包丁を選びます。
私が奈良から北海道に移り住んで20年以上経ちますが、最初、漁師さんにマキリを使わせてもらった時、「シンプルで、万能な道具だな」と感心しました。
一本でロープを切ったり、小魚から鮭に至るまで捌くことがでるのです。また、マキリの中には水に落とした時も浮くように出来ていたりして(刃より柄の浮力のほうが高い)、漁の道具として徹底しているなと感動したものです。これなら漁師が船から海へ落としたとしても回収できるわけです。
ただ、料理のプロとしては、もう少し切れ味が欲しいと思ったので、マキリの設計図を作り、京都の有次さんにお願いして、良い鋼で手打ちしてもらいました。
上二本が漁師が使っているマキリです。そして一番下が有次さんに打ってもらったマキリです。
アイヌが使っていたマキリとは形状が少し違ってきますが、これ1本で何にでも使えるという機能は今も受け継がれています。
そうそう、ここで改めて私の経歴を簡単に説明しておきますね。
私は35年前にイタリアで料理とサービスを学び、奈良に帰ってからは和食を学んで、その後、北海道の噴火湾の漁師町に移り住んで、魚を学んでいます。浜の近くに水産加工場を建設し、道南一帯の地方卸売市場の市場参加権を取得して、直接入札、自社加工、直販をしています。
これから料理の話題が多くなってきますので、その前に私の紹介をさせていただきました。
どうぞよろしくお願いいたします。
まだしばらくは活動できませんが、コロナが落ち着いたら活動していきたいと思います。都度、こちらに掲載していきますね。
2020年05月02日
アイヌ料理をそのまま作ってみたいと企画していますが、まずはアイヌ人ってどんな生活をして、どんな言葉をしゃべり、
いつから北海道に居たのだろうかと、いろいろ調べています。 本だけでは実感が沸かないので、早速道内のアイヌ民族資料館などを回ろうと計画してたのですが、緊急事態宣言が出て、しばらく お預けとなりました。
目と鼻の先の、函館にも民族資料館がありますが、こちらもしばらく先になりそうです。
前回のめるまがでは、カムイという概念を神と表現していましたが、調べているうちに、どうも単純に神とは言えないことがわかってきました。
カムイは、どちらかと言うと、「友」のような存在に近いかもしれません。
アイヌにとっては、熊も鹿も水も火もカムイです。この世界で見聞きし、触れることができる、ほとんどのものはカムイなんです。
アイヌが言うには、カムイはカムイの世界(カムイモシリ)に、霊魂として暮らしていて、アイヌの世界(アイヌモシリ)に来る時は、例えば、熊なら熊の肉と毛皮を付けてやってくると信じています。
これはカムイの霊魂が熊の肉と毛皮を付けて、アイヌのふさわしい人に贈り物として持ってきてくれるのだそうです。
アイヌはカムイに感謝し、霊魂がカムイモシリに帰る時は、アイヌもカムイに贈り物をします。
カムイは、目に見えない世界と、目に見える世界を往き来しているんですね。
時には人間に悪さをするカムイも居て、そんなカムイにはアイヌが罰を与えることもります。時には、イオマンテと言って、母熊と生き別れになった子熊を母熊のところへ送り届ける儀式(祭り)をします。
神のように敬うという感覚ではなく、親しい者で、対等に近い感覚ですね。
科学には、エネルギー不変の法則というものがあり、エネルギーは光が熱に変わったり何がしかに変化して、消えることが無いという法則です。
これはアイヌの世界にもあり、食料は、自分の肉となり、熱となり、生き続けるんだと考えられています。そして魂は、カムイモシリへ。
アイヌ人も、魂と肉体は別だと考えているのですね。まずは、アイヌ人を知り、どういった背景から、それぞれの料理や食料が生まれたのかを学んでいきたいと思います。
また、塩一つとっても、精製された塩はその時代には無かったでしょうから、天然塩を使ったりと、出来る限り再現できるよう工夫していきたいと思っています。
いつになったら出来るのか、今のところ見当ついていませんが。笑
でも、必ず作りますので、首を長くして待っていてくださいね。 ただ、今回は、美味しいか美味しくないかはテーマではありません。
あくまでも、当時の料理を再現するということが目的です。
「へえ~、アイヌ人ってこんな料理を食べてたんだなあ・・。ちょっと口に合わないけど、でもいい体験になったなあ。」とか、「 ああ、現代に生まれて良かった!」と思われるかもしれませんよ。笑
はたまた、「このほうがナチュラルでいい!」と感じるかもしれませんね。
ではでは、今日はこれにて。
ああ・・そうそう。先日、コロナの影響で、私たちが居る噴火湾のほたて貝が暴落して、漁師がやっていけないという報道がありました。
ご覧になったみなさまに、温かいお心遣いいただきましたことを心から感謝申し上げます。
自然がたくさんあり、住みやすいところですが、漁師の仕事は真冬でも顔を凍てつかせながら漁に出ていきます。
どんな仕事でもたいへんだと思います。一生懸命やった仕事がうまくいかなかった時、本当に残念な気持ちになりますが、そんな時、こうやって応援していただいたら、心の中から暖まります。
ありがとうございました。
これからも噴火湾から美味しい魚貝をお届けします!
2020年04月13日
アイヌのルーツ
アイヌ人は、縄文時代の旧モンゴロイドとされています。旧モンゴロイド人が沖縄と現在の北海道に分かれたとされていますが、う~ん・・昔調べたところでは旧モンゴロイド人が沖縄に行き、朝鮮半島から入ってきた、新モンゴロイド人が北海道に居ついたということでした。
どちらが正しいのですかねえ・・。
すでに行き詰まっていますが・・。笑
ただ、沖縄人のDNAと、アイヌ人のDNAは非常によく似てるいらしいですよ。
現在、北海道にアイヌ人は20000人少し居るらしいです。でも、純血のアイヌ人は居ないだろうということです。まあ、何をもって、いつの時代をもって純血とするかというところですがね。
また、和人との戦に敗れたアイヌ民族は、和人によりアイヌ人どうしは結婚してはならないと押し付けられた時代もあったので尚の事です。
とても残念ですが・・。
当時、本州の人たちは和人と呼ばれていましたが、和人も純血の人となると、定義が難しく、結局なにを持って、和人と呼ぶのか?と、同じ難題に当たります。
ですから、現存しているアイヌ人は、少しでもアイヌの血をひいた人という解釈でいいのではと思います。
料理は、その土地の風土や民族の習慣、宗教、採れる素材などにより必然と決まってきます。ですから、アイヌ料理を作ろうと思ったら、まずはアイヌ人の住んでいるところの気候や風土、習慣、慣習、信じていることなど、広く知ることが大事だと考えています。
しばらくは、 アイヌ人について調べたいと思います。
また、アイヌ民族の暮らしを通じて、平和で持続性ある未来のために、現代人が失ってはいけない大切なものなんかもわかるといいなと思っています。
早速私は、彼らが尊ぶ、カムイ(神)について興味津々です。
2020年04月12日
アイヌ料理をそのまま再現したい
今日は休みなので、以前から取り組みたかったアイヌの文化を学んでいます。
特に食文化には興味があって、アイヌ民族独特の自然観などから作り出された料理にはとても惹かれるところがあります。
アイヌの歴史や文化、民族性を調べていると、カムイという言葉が良く出てきます。カムイとは神という意味だそうですが、そんな言葉からも自然を敬う民族だということを伺い知ることが出来ます。
おそらく、限られた資源を大切にし、サスティナブル(持続的な)な生活を送っていたのではと推測することができます。
今、アイヌの食事をそのまま再現できないかと考えていまして、もし、何品か口に合いそうな料理を作ることが出来たら、「アイヌ食文化祭り」みたいな企画を開催したいなと思っています。
全てが口に合うかどうかわかりませんが、テクノロジー全盛の現代にあって、人が自然観を養い、バランスを図る上に於いても、歴史から学んで中和できることが沢山あるのではと考えています。
私は物理学が好きで、新しいテクノロジーやイノベーションが大好きです。でも、片や、大昔から変わらない釣りの延べ竿を持って、山の奥深くの渓流に魚釣りに行くことも大好きです。
自然と身体が大自然を欲しているのでしょう。釣り上げた岩魚を串刺しにし、炭を囲んでみんなで焼いて食べるのですが、たわいもない雑談をして一日を閉じると、心や体の疲れが綺麗に無くなり、また活動するエネルギーで充満します。
ああ、そうそう。
来週末、みんなで渓流釣りに行くんですよ。結構山奥で、さすがにコロナもここまでは来れないだろってなところです。
アメマスやヤマメ、たまに岩魚が釣れるんです。
渓流のカムイに会ってきます。
たくさん釣れたらみなさんにもおすそ分けしますね。
また、これからしばらく、アイヌ料理が出来るまで体験記を社長日記に綴っていきたいと考えています。
めるまがでも発信しますので、見てくださいね。